『月刊・石井裕之~沢雉会』会員の皆様からのご感想

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ご感想の対象 : 
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
「心のDNAの育て方」のCDでの『憎しみを置く』ことの難しさを、沢雉会に入りより明確に感じつつあります。 気がつくと『憎たらしい奴』『何かと攻撃してくるヤツ』『邪魔してくる奴』『不幸なごと・不運なこと』を見返したり、黙らせたり、やっつけようetc・・・自分の居場所を守るのに、大きな憎しみを持って必死になっている醜い自分がいる・・・たぶんこれは一生のテーマだと思っています。 だから、一生懸命這い上がっても気を抜いた時、思わぬところで酷い目・不幸な目にあって、どんどん悪いループに追い込まれる・・・ ここ数年一区切りついて・・・最近、母から「最近顔つきが優しく穏やかに変わった。 前は憎しみ・悲壮感・焦り・・・色々悪いもの全てが顔にでていた。」と言われ『あぁ、やっぱりそうだったか』と反省しています。 気がつくと眉間にシワをよせて目が釣りあがって怖い顔(笑)になります・・・どうどう・・・ 昔に比べると、色々乗り越えて成長しているところはありますが、そういう時こそ、気を抜いて大きく自滅してしまってきました・・・ だから、沢庵和尚の言葉ではないですが、小悪の積み重ねに注意し、いつも自分に釘をさせる自分でいたい・・・そう思っています。 優しさ、明るさ、そして自分に対する厳しさ・・・が豊かさに繋がると信じて、これからもがんばります!
大矢 維人 様 (神奈川県 男性 2009年05月09日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
シーズン2から参加させて頂きました 中川です。 会社の行き帰りで 毎日聞かせてもらっています。 「忙しさに安心してませんか?」のフレーズにドキッ! 「忙しさに安心するタイプなんです」って言い訳しそうに・・(笑) 石井先生!その通りです。 そこには豊かさはありませんね。 すべて、頷きながら 今日も聞いています。 ありがとうございました。
中川 智之 様 (広島県 男性 2009年05月08日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
今号が今までで一番胸にグサグサきました。ただそれだけ自分にも伸びシロがあるという気持ちにもなることができました。 連休でようやくアンプラグドをゆっくり拝見することできました。石井先生に出会えて本当によかったと思いました。
降籏 浩 様 (長野県 男性 2009年05月06日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
シーズン1で、DoでなくBeということがスーっと腑におちました。 今回のお話はまさにそのBeになるためのヒントのお話。外側でなく自分の芯から生まれ変わった感覚です。 普段意識してなくても意識化してみると、豊かさに限らず形ないものを名詞化によって「もの」として扱っていることって多いんですね。『夢』や『心』など…きっとどこかにあるんじゃないかと思ってました。でも実際には「もの」ではなくプロセスや感じるもの。 そういった意味では「これから求めていくべきBe」も「この沢雉会という場所」も本来言葉にすることができない漠然とした何かなんだと思います。その何かが何なのかは一人一人がこれから見出していく中でそれぞれ違ってきて当然かな。だって「もの」じゃないんだから。 豊かさ感覚のお話ではいかに自分の中にそれを生み出せる感覚を感じられるかということで、今までの自分が考えていた感覚が必ずしも豊かさ感覚ではなかったことに気付けました。いわゆる引き寄せの法則として欲しいものが実際に手に入っていると想像するだけ。それを見出せるだけの力が自分にあると感じてなかったし感じられなかった。内でなく外に求めていたんだと思います。自由なようで自由でなかったみたいです。 6つの豊かさのヒントではどれも斬新な考え方でした。自由というBeに様々な角度から向き合え、より理解が深まったと思います。 その中で自分は特に「時期を考えること」というヒントにハッとしました。 種を蒔こうとすると現状維持メカニズムからか収穫をしようとしたり、収穫の時期に種を蒔いていたりと逆をやってました。客観的にみるとこれほど愚かなことはないですね。 今、沢雉会の自分は間違いなく種を蒔く時期。けちな収穫はいらないです。 それに沢雉会シーズン1だけで、一気に種から大木くらいの成長を実感している私。(他の人がなんと言おうと少なくとも自分はそう思っています。)せっかくここまで大きくなったんだからここで切り倒すなんてもったいない。残りのシーズンでおいしい果実をつくりだし最高の時期にどさっと収穫してみせます。同時にそれから先に向かって別の種も植えていきたいです。 理想を持って少しづつでも頑張ります。
山崎 康弘 様 (長野県 男性 2009年05月06日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
 客観トレーニングを日々行いながら、その時々(その瞬間)に心の状態がこれほど動いていることを実感しています。自分を観察することで、いろいろな自分を発見できています。悪い面にもなんとか向かい合い、認め、そして、良きことに創造する努力を続けています。まさに、「スパルタ」。自分に向かえば向かうほど、時間に関係なく自分の感覚がどこに向いているかに気づきを与えられます。  この第4号で、大変感動したこと(腑に落ちた)が3つあります。 一つ目は、石井さんが翻訳してくれている「バランス」はものでないこと。バランスは、常にとり続けるプロセスだということです。どこかに理想的な「バランス」があるのではなく、常に「内に」創り続けることであるもの。私はバランスを探していた傾向が強いことに気づきました。 二つ目は、「Be」ありきの「Do」だということです。「Be」と「Do」は両輪であると認識してDM6より今までやってきましたが、最近、ある根拠のない確信をもつようになり、「Be」の上または内から「Do」が創造されると思うようになったときに今回のCDとシンクロしました。 三つ目は、「劣等感」と「うぬぼれ」は両面であるということです。劣等感は特に気になることですが、逆に、自分より下だと思っている人に「うぬぼれ」をもっていないかということです。人と比べて、上だ下だと思っている自体まだ、私の「Be」はまだまだスパルタで鍛え続ける必要がありますが。日常で、自動的にこのような感情になっていないか反省するための気づきとなりました。「劣等感」に隠された「うぬぼれ」に正面から向かい合い、認め、良きこととして創造を続けていきます。 ありがとうございました。
長谷川 喜亮 様 (北海道 男性 2009年05月05日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
自由という事について私なりに考えてた。私は絵を描くことが好きだ。。絵を描いている時は満たされ、カンバスに自由に色をのせて。描いていく過程の中で どの角度からとらえていくのか あるがままに描くのか それは私次第。気がついたらひとつの絵になっている。 その絵を見てある人は「凄いね!」と言った。ある人は「楽しいんだね」と言った。ある人は「変わった絵だね」と言った。私はどんな時も絵を描く事をやめなかった 一枚一枚の絵と向かい合いながら 何より絵を描く事が好きだったから。芸術は人間が生きている現実世界の一部分。私のこころの表現の一部分。。現代社会におけるお金とは。。私は主婦なのでいきなり主婦の観点に戻って考えてみる。二日に一度はお金、使う。絵画のようにカンバスという外にあるものにはとらわれない。時々カンバスからはみだす事も楽しむのだけど・・・現代社会で生活している人、一人一人がお金はもっている。当たり前なことだけど どう使うかは自分次第、自分の責任。そんな風に当たり前だと思っている人は多いのか?どうだろうか。 例えばそれは絵を描くという過程と 方向性は似ていないか?お金は現代社会においてはより身近な自由の表現。お金は絵の苦手な人好きな人に関わらず誰もが描ける自由の表現。自分の中に描くのか 他人の中に描くのか 描いた時に何を感じるのか そこから更にはじめるのか。。。絵(お金)を描く(使う)過程で忘れてはならないのは 一色でできあがっていくのではないということ。沢山の色が、思いが響きあってひとつの表現へと繋がっていくこと。きっと私たちも同じだ。いろんな人がいてくれるから響き合う そしていろんな自分の気持ちがあるから響き合う。白があるから黒がある その有難みに気づく。お金も自分に運んできてくれる人がいるから得られ、使える訳で使う側だけの一片の観点で捉えていては きっとお金も自分から去ってしまうだろう。まず自分はどれだけ身近な人やものの中の有難みに気づけるだろう。。そして自分の中に・・・こうして沢雉会に参加できるのも 私の思いを旦那が理解してくれたから。時々「どうですか?何か自分で変わってきたと思うことはありますか?」「頑張りすぎないようにね。」と見守ってくれてる。そのやさしさは当たり前じゃない!そのことをしっかり胸に刻み、一ミリづつがんばっていこう。
さぼ 様 (広島県 女性 2009年05月03日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン1・第3号
第3号、「理解から共感へ」しかも「善きものとして捉えたいのです」。 自分の「正しさ」への想いは、「自分」を作ってきた一方で、自他への否定の影を生み出していた。 でも、あんな人(失礼!)を「理解する」って一体どういうこと? そんなことして本当によいのだろうか?自分を失うような怖さ。 自分を失くさず、許しでもなく、人それぞれでもなく、妥協でもなく、 癒しでもなく、曖昧さでもなく、小賢しくなく、理解し、受け入れる。 なんとなくわかる世界ではあるけれど、反発を抑えて、ええい、飛び込んでしまえ! 歯を食いしばり、「行けた」と思えば、「だめだぁ」の行ったり来たりを繰り返す。 でもですね、賽の河原積みみたいだなぁと思うこともあるけれど、積み上がった様子にあこがれつつも、 積み上げること自体が今の自分を壊す、壁の向こうでは矛盾が矛盾でなくなる、 境界線の広がった(あるいは薄れた?)、今より豊かな世界がある、そんな世界を垣間見る経験。 確かに沢雉的スパルタですね。でも、何かの予感にほくそ笑む僕もいるのです。楽しいですね。 そして、沢雉会のもうひとつの楽しみ「裏ブログ」。特に「一対一」は感じ入りました。
かず 様 (神奈川県 男性 2009年05月02日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
冒頭の「理解・共感・許すこと」の関係についての補足がモノ解りが悪い僕にとっては非常に難しい問題です・・・わからない・・・ついていけない・・・日々が続きました。 ・・・ということで、かなり久しぶりに毎日の通勤・営業中の移動時の「24」(笑)レッスンをしばらく休みました・・・石井さんに出会ってから2回目のことです。 薄々気になっていた、毎日営業車で聞くことも、度が過ぎていないか?・・・「正直な人の罠」に落ちていないか?・・・自分は大丈夫だろうか?・・・と心の奥で迷っているのかもしれません・・・急に白髪が増えました(笑)・・・でも戻ってきました・・・冗談はさておき・・・ さて、ここ3ヶ月くらいを振り返ると、自分の大嫌いな人の「よきところ」を真剣に見て考えて見る、「都合が悪いできごと」を『自分を鍛える最良のテキスト』であると考えを受け入れられる場面が増え、前に比べ、とても前向きになり、嫌な気分を引きずらなくなったことに手応えを感じています。 今回の、「潜在意識は体育会の怖い先輩に似ている」という話、特にすっごく解りやすかったです。 得意先のとっても面倒で理不尽なお願いもニッコリと「どんとこい」「いくらでもどうぞ」という気分で臨むと意外と軽く済んだ・・・という最近の乗り切った事例から妙に納得する今日この頃です。
大矢 維人 様 (神奈川県 男性 2009年05月02日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
第4号、すでに2回聞きました。 明日また3回目を聞くつもりです。 本当に石井先生のお話には、「ハッ」とさせられることが多いです。 ありがとうございます。 すでに第4Sまで申し込んでます。 今後も本当に楽しみです。 さて、今回の第4号で大きな気付きが2つありました。 1つ目は、今から10数年以上前に聞いたある歌で、「幸せは"なるもの"ではなく、"感じるもの"だ」という歌詞の「意味」が、やっと腑に落ちたことです。 この歌詞、ずっと心に引っかかってました。 今回、豊かさ感覚のヒントを聞いて、やっと理解出来ました。 豊かさとは、幸せとは、「感覚」なんですね。 出来たかどうかとか、関係ないんですね。 ましてや、「モノ」などではないんですね。 名詞化していた自分を、痛感させられました。 2つ目は、ある勝負師の言葉で、これも10数年前に読んだもので、「何かを借りる、という行為は、勝負においてはすでに負けである」というものです。 これも、何か大事だと思い、これまで自分も借金は小さなものでもなるべくしないように心掛けてきました。 しかし、実行はしても、理解はしてませんでした。 あまり借金する機会というか、そういう境遇へと自分を持っていかなかったこともあります。 しかし、今回のヒントを聞いて、「そうか、潜在意識レベルでは、借りる=負い目なのか」という感じですけど、本当に深いところで理解出来たように思います。 一人合点でしたら申し訳ありません。 しかし、自分としては、ほとんど確信に近いです。 昨年不惑を迎えた自分が、まさしく仰るとおり、「収穫に時期」をも迎えられるよう、今後に活かしていこうと思いますし、そう出来そうな予感が致します。 ありがとうございました。 今後とも、石井先生、フォレストの皆様、また関係者の皆さん、本当に楽しみにしています。 頑張ってください。 今後ともよろしくお願いします。
式田 務 様 (大分県 男性 2009年05月01日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン2・第4号
シーズン1では二の足を踏んで、参加を見送っていたのですが、どうしても参加したいという思いが沸々と沸き起こり、シーズン2から参加させて頂いています。 豊かさと自由、どちらも自分が強く求めているつもりだったのですが、お話を聞いて、実はその裏で逃げていたのでは?という気がしてきました。 逃げること、言い訳することを「自由」と勘違いしていたのではないだろうか?と。 「自由」を楯にして自分の欠点、失敗、不安などを隠していたんじゃないだろうか、と。 それって、振りまわされていることと同じだな、と思えてきました。 自分を軸として考え、行動すること、いざチャレンジしてみるととても恐い。DM6、DMUでもチャレンジしたつもりだけど、沢雉会ではさらに核心に触れられているせいなんでしょうか、古傷をえぐられているような気分でもあります。 恐さに鍛えられながら、勇気を持って本当の自分を見つけていきたいと思います。
山内 伸 様 (福井県 男性 2009年05月01日投稿)
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