月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン1・第1号
他人を批判する心が自分の中で芽生えたとき、
その批判の対象は自分の中に潜んでいる欠点であるという話が心に残りました。
普段の生活の中で、あぁなるほどその通りだと思える体験をとおして
この話がより印象付いたように思います。
つい先日のことです。
職場で相手がもそもそ業務連絡を話しかけてくるのですが、
もっと聞き取りやすいようにはっきり喋ってほしいなと、
少々心穏やかではなくなっておりました。
そのときふと、もしかしたら、自分も相手に聞き取りにくい話し方の
時があるのかもしれないなと、、そういえば、眠たいときなど小声で
あいまいに喋っているのかもしれないなと、そんなことを思いました。
その途端、落ち着きを取り戻して穏やかな気分になったのです。
そのことに自分でも驚きました。
相手の中に見える欠点は自分の中にある欠点であるというような話は
以前にも見たり聞いたりしていたはずですが、そのときはあまり心に
残らなかったように思います。
今回CDで全体性の話とおなじタイミングで聞けたのが良かったです。
潜在意識でつながっているから、相手の中に見える欠点は自分の欠点と
つながっているんだよなと、今回はすんなり受け入れられたようです。
この感想を書くためにあれこれ頭の中を巡らしているときにふと思いました。
他人の中に見える欠点が自分の中の隠れた欠点なら、
他人の中に見える長所は自分の中に隠れた長所であるんじゃないかと。
もしそうならば、自分は誰のどんなところにあこがれているのだろう?
という答えを求めることが、自分のミッション(使命)を求めることにも
なり得るのかもしれません。
みなそれぞれ、あこがれる人がバラバラであることを思うと、
なるほど、自分のあこがれの存在 = 自分のミッション と見ても、
みなそれぞれにバラバラのミッションにたどり着くであろうし、
こんな解釈もおもしろいかもしれないなと、そんなことも思いました。
あこがれとミッション、イコールで直に結べるものではないかもしれませんが、
遠からずところにあるように感じました。
これからもCDをきっかけに、自分なりの理解を改めて深められたらとおもいます。
中塚 信行 様 (京都府 男性 2009年02月06日投稿)