『月刊・石井裕之~沢雉会』会員の皆様からのご感想

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ご感想の対象 : 
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
「量と質」のお話で10代の頃を思い出しました。特に大きなことがしたかったわけでなく、「逆境にめげず、自分で道を切り拓き、自分なりに納得できる生き方をするぞ」と頑張っていました。当時は「質」だったと思います。それから長い時間がかかりましたが、ある程度夢はかないました。でも最近ではその喜びを忘れ、「どうせ自分の“量”はこれっぽっち」と不貞腐れ、せっかく手に入れたスキルや環境も自尊心を満足させる「つっかい棒」として寄りかかるだけで、それを「道具」として何かを生み出す努力を怠っていました(汗)。……と、つらつら考えていた時に、裏ブログの「こまわり君」を読み、忘れていたあのキョーレツな顔(笑)を思い出したら、「あの頃」の感情がリアルに甦って来ました。10代の原点に戻り、「質」の部分の志や喜びとなるような目標をもう一度考えてみようと思いました。 ありがとうございました。
Judy 様 (愛知県 女性 2010年10月08日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
今回の「量は運命、質は自由」の話は、大変わかりやすかったです。量は運命的なものだから、質を磨いていくことが大事であって、自分に与えられた舞台がどんなに小さかったとしても、腐ることなくコツコツと一生懸命やることで、質が磨かれ、死んだ後に心のDNAに残り、来世に活かされる。来世で与えられる大きな舞台のために、今は精一杯質を高める努力をする。そう考えると、今までは「こんなことやったって…」と思ってやらなかったり、あきらめていたことが、どんなに小さなことでも頑張れるようになりました。
太郎と次郎 様 (愛知県 男性 2010年10月06日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第20号
小さな「気づき」の報告ですが、自分にとっては今までなかった進歩でうれしく思いましたので投稿します。今朝、通勤途上で先月号「自己実現を邪魔するもの」を聞いておりまして、フト、「それなら今まで自分が挑戦してきたことで、結果的として現実に成果が出たことと、結果として現実には成果が出なかったこと」を、「意識魂」と「悟性魂」という切り口で整理してみよう!と思い立ち、いつものモーニングをとる喫茶店で過去の主要な出来事について分析してみました。すると、結果的に成功したときは、「先はみえないが、プロセス自体を自分で工夫していた」つまり「能動的」であったこと、「ストイックな努力はしていたが、プロセス自体を楽しんでいたこと、したがってエネルギー(モチベーション)が持続していたこと」「根拠のない自信が持てていたこと」などの共通項があることを発見しました。逆に、結果的に成功しなかったときは、「結果のみに意識が強く行き、取らぬ狸の皮算用で、結果を愛してしまっていたこと」、「この合格スケジュールどおりやれば合格するといった専門学校のカリキュラムに従う」という「受動的」な発想であったこと、どことなく「違和感」を感じ、「途中でやめていた」ように思いました。であれば、今取り組んでいる目標は、それらの過去に照らして、どのような状態になっているのか?また、得られるものと失うものは?カウンター目標とリバース目標は?ということを、もっと微に細に、もっと係わって(能動的に)分析していこうと思い立つに至りました(ここで出社時刻になりましたので今後の取り組みになります)。そして、今回一番うれしかったのは、ここ数年に及ぶ先生のアドバイスを、自分の問題として、自分の経験に照らして「係われた」ということでした。小さな気づきの報告をダラダラと述べましたが、私にとっては大きな一歩でしたので、報告いたします。石井先生の学びが自分の内側から活かせたように思える経験でうれしかったです。以上
T.K. 様 (京都府 男性 2010年10月05日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
沢雉会21号の「量」は、運命「質」は自由というテーマが大好きです。 実は、いろいろなことをやろうとしたときに、母親から度々言われることがあります。 「不相応を知りなさい」です。僕は、この言い回しが対嫌いでした。 未だにこの言葉が与える印象は嫌いですが、「量」は運命「質」は自由という考え方に当てはめると、いろいろ分かることがあります。 沢雉会に出会えて、正確に、物事や心の動きを「言葉」で捉えられるようになってきた自分がいます。 すると、世界が広がり、認識力が上がります。 この感覚を研ぎ澄ませていくと、人生の美と驚異を味わうことが出来ると信じて、これからも頑張りたいと思います。
NOW 様 (東京都 男性 2010年10月04日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
今号21号で自己実現がそもそもどういうものかということを理解することができました。とかく目に見えるもの(量)ばかりに気持ちがいき質を磨く努力をさぼっていた自分がいたので、なんだか自由でなかったなぁと反省。今後はどんなに小さなことでも最高の質をもって接する気持ちを心掛けるようにしていきたいと思います。 それと今号の課題を通して、わからないから今まで行動しなかった自分もわからないまま行動してみて初めてわかることがありました。とはいえ正直まだ手探りで、まだわからないことだらけで、もしかしたら失敗するかもしれないし、結果に責任を負うことになるかもしれない。けれど、完璧にわかるようになるまで何もせず、そのうえあとになって後悔してばかりの自分を越えられたことにこれまでにない誇りを感じられたし、これまでとは違う創造的な世界をみれたことに喜びを感じられました。 わかってから行動していたのではなんだか受動的で創造的でなくてこんなわくわくした気持ちにはなれなかったに違いありません。 わからない…だけどそれでいい。だからこそ創造なんだ。どんなに頭で考えてたってどんなに悩んだって、実際にやってみて気づけることはまったく次元が別物なんだ。 『わからなくても行動することを行動する。』・・・そんな私なりのやる気の文法で自己実現をさらに加速させていきたいです。 石井先生ありがとうございました。 最後のシーズンを能動的、創造的に関われるよう私も頑張ります。
山崎 康弘 様 (長野県 男性 2010年10月03日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
21号ありがとうございました。CDを聴いた夜に、自分がいかに現状維持メカニズムに陥っていたかに気づきました。今号のテーマではないですし何故かわかりませんが、「まあこれぐらいの成果を出していれば誰にも何も言われないだろう」と思い、直前で力を抜いていた事にに気づいたのです。 自分でも不思議ですがとっても清々しい気持ちになり、やる気がみなぎってきました。この感覚を大切にしていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
友昇汰 様 (宮城県 男性 2010年10月01日投稿)
その他
沢雉会に参加するまで、私はできてないことに意識を向け自分やまわりを非難してばかりだった。。。できたことにはこれっぽっちも意識を向けていなかったしできていないことができるようになることが大切だとしか思っていなかった。1ミリの成長なんて認めることができなかった。荘子の沢雉の話を聞いたとき、その生き方に凄く惹かれた私は近くの山の上にある公園まで歩いて行った。沢雉の気持ちを体験しようとペットボトルに水を入れて イメージをふくらませて。傍から見ればただの散歩だけど。あの時のドキドキした気持ちを今でも覚えている。五感で感じた。 あの時、スイッチが入った気がする。自分に挑戦しよう!よし!と。どこからそんな気持ちが湧いてきたのか不思議な瞬間だった。今、しんどいこともたくさんあるけどもわたしは1ミリの成長に励まされ、また1ミリ成長しようと闘っている。
さぼ 様 (広島県 女性 2010年10月01日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
21号のお話を聞いて本当にすべて繋がっているんだなと思いました。「もっと~だったら~できるのに」という、外に基準を求める悟性魂的な在り方は 例えば本を読むとき大事だと思うところに線を引くということと同じ事なんだと気づきました。なんでその一冊の本から選んでここが大事!ってやってしまうのか。目の前の人のドラマを感じずに結果だけみて「へ~。」って言うのと同じだと思います。自分のいろんな可能性を無視して、部分的に引っ張りだしてきて 「もっと~だったら」と理由をつけてだからできないと自ら逃げてしまう。そう感じると石井先生のお話、生き方に私はどれだけここは素敵!と線を引いてしまっていただろうか。すべてを感じようという努力はしただろうか。。。傲慢な自分がみえてきました。でもそんな自分がいたから今が見える。スリッパを揃えようと毎日やってきた自分がいたから気づきがあったと思うんです。両方のバランスもあるんだなと思いました。「自己実現」の実現のために『「創造」だから「何をやればよくわからない」んだ』とまでおっしゃってくださった思いを考えながら一ヶ月なにかやってみようと思います。受動的であることはいけないことだ一面的な考えていた事に気がつけたことは自分の力になったと思います。喜びです。この思いを行動に変える努力をしたい。努力にもいろいろあるんですね。
高山さおり 様 (広島県 女性 2010年09月29日投稿)
シーズン7・特別講義
私にとって3回目の勉強会でした。毎回、ものすごく引き込まれ、お話が自分の問題意識やこれまでの沢雉会での学びと結びついて、化学反応のように色々な答えや気付き、新たな課題がどっと沸いてきます。終わると2,3日ボーっとしてしまい、「あれ、どんなお話だったっけ?」という感じですが、確実に自分が変化していく実感があります。石井先生の「技」と「熱」のたまものと思います。ありがとうございます。 ところで、ちょうど今DM6で「パーソナルカリスマを身につける」課題に取り組んでいるのですが、カリスマって何なのかうまくイメージできていませんでした。先生にお目にかかれる機会も最後かもと思い厚かましくサインをいただいたとき(ありがとうございました)、「これがカリスマなんだ!」とビビビっとひらめきました(ヘレン・ケラーがwaterの意味を理解した時くらいの感動かも?!)。 「今の私にはひとかけらもないけど、今生のうちに少しでも身につくよう頑張ろう」と思うと同時に、石井先生がこれまでにどれほど身を削ってこられたかが感じられて、気が遠くなりそうでした。 石井先生、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
Judy 様 (愛知県 女性 2010年09月29日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
石井先生、フォレスト出版のみなさま、 21号の「でも、何をやればいいのかわからない……」のお話のなかで、今回も一生の宝物となる考え方をいただきました。それは、「『創造』だから『何をやればいいのかわからない』」という考えです。 少し前の私も、表題の質問と同じ風に考えていました。特に、「ライフワーク」を求めてあちこち探してきました。でも探しても一向に見つかりませんでした。 ところが、石井先生のアドバイスにしたがって、心の筋肉を鍛えはじめて、目の前のことに集中し出したら、「何をやればいいのかわからない……」という考えが自然と浮かばなくなりました。 すると、不思議なことに、方向性がだんだん見えてきたのです…。いえ、「方向性が見えてきた」というよりも、「やることが『わからない』ことが『わからな』くなった」のです!五里霧中を楽しめるようになってきました。 これで、またちょっとずつでも、「自由」に近づけたようで、とても嬉しいです。
エリザベス 様 (東京都 女性 2010年09月28日投稿)
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