『月刊・石井裕之~沢雉会』会員の皆様からのご感想

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ご感想の対象 : 
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
今やっと21号ラスト1回目を聞き終わりました。 何だかジ-ンと来てしまいました。感動が薄れぬ間に書き込んでいます。 石井先生は本当に自分と向き合い一生懸命生きてきたのだと 感じました。 このシ-ズンまできて 明らかに自分の進む道に中に自分でも間違って 居る道を敢えて選び進んできたものもあったのですが (どうしても知りたかったそのこと)苦しい中・・・やっぱり間違っていたのかなと? でもこのひとつのことが終わったことにも正直本当に間違っていたのかも正直分かりません。 恥ずかしい思いも、自分でも目を覆いたくなる思いもしました。でもその中でわたしは一生懸命自分の正味で 相手にぶつかれたことに後悔はありません。 身勝手かもしれないけれど・・自己満足かもしれないけれど そこに込められたことに幸せを感じています。 結果は自分の思うようではなかったけれど 哀しくて、悔しくて仕方なかったけれど でも良かった。自分を大いに知れたことにまた次に繋げて いかれると思っています。 先生また行動し続けていきます。 先生にありがとう気持ちでいっぱいです。
丹羽 広美 様 (岐阜県 女性 2010年09月27日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第21号
まだ途中ですが今号21号のリストの中の『でも何をやればいいのか?分からない?』を聞いて正直!『うん。わたしの行動はこのまま創造し続けて行けば良いのだと思いました。 嬉しい気持ちになりました。石井さんの仰られるよに・・・わたしの周りのよく世間で言われる成功者が何人かいるのですが・・その人達はわたしの行動を見て『目的を持って行動してるの?だとか?なんか無計画の行動にしか思えないとか?本当に色々言われてこの成功してきた人達が言うのだからわたしの行動は本当に意味の無いものかもしれないかと、実を結んでいかないのではないかと・・正直気持ちが萎えることも多かったんです。でも石井先生のお話を聞いてこのまま手探りで良いんだ!自分が納得するまで進めて行こうって思えました。周りのバッシングも以前はもっともっと辛かったけれど、このシ-ズンまで自分なりに頑張ってきて 少しは折れない気持ちの筋力がついてきた事も嬉しいです。 続けて頑張ります。
丹羽 広美 様 (岐阜県 女性 2010年09月27日投稿)
シーズン7・特別講義
9月は、体育祭やら文化祭やらの時期である。笑いあり、涙あり、今この瞬間に精一杯の力を出して取り組む子どもたちの姿に、少しずつ私の心は洗われていく。帰り道には、忘れていた何かが動き出しているのを感じる。やがて、新たなエネルギーが湧いてくる。 子どもたちと接する機会が多い私は、子どもからの指摘に「うっ」と言葉がつまったり、その何気ないつぶやきに、ハッとさせられることがある。都合よく体裁だけを整えた「大人の勝手な言い分」を見逃さない子どもたちに、私は時折たじたじとさせられる。 新鮮な気持ちを呼び起こしてくれるのが子どもたちなら、自分の中(過去の経験)しか見ていない自分に気づかせてくれるのも子どもたちである。まさに「教育は共育」「子育ては自分育て」なのだと思う。 昨日の講義は、非常に深く有意義かつタイムリーな内容でした。思考・感情・意志に関しても様々な角度から話して頂けることで、見落としていた観点や理解の浅さなどに気づくことができました。感謝申し上げます。
橋本 江利子 様 (千葉県 女性 2010年09月27日投稿)
シーズン7・特別講義
今目の前にあるものを見ているつもりで本当は見ていない。その言葉に一番ドキッとしました。心も体も一瞬一瞬変化していることは、自分のこととして考えればわかることなのに、目の前にいる人やものが昨日や5分前と同じだと思い込んで接してしまっている。今この瞬間のその人の心の動きや表情の変化を敏感に感じようとすることを怠り、そしてその人が今よりもっとよくなっていけることをどこか信じきれていない自分がいるからこそ、上から目線になってしまったり、自分の考えを押してつけて、力ずくで相手を変えようとしてしまうのだなと思いました。
Hoffnung 様 (群馬県 女性 2010年09月27日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第20号
今月号を聞いて、今この瞬間、感じている事があるのですが、僕自身、悟性魂的になっている時は、魂がひからびている感じがして、意識魂的になっている時は、魂がみずみずしい感じがしています。歴史が長い分、世の中の人の魂は、悟性魂のパワーが強い感じがしていますが、僕自身の魂は、意識魂のパワーが強い感じがしています。沢雉会を命がけでやりますと言いましたが、今この瞬間、そういう事か、と天から稲妻が走るが如く腑に落ちました。
東 雄大 様 (愛知県 男性 2010年09月22日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第20号
自分の中で「こういうものだ!」と決めつけているものを壊してみるのは、なんとも楽しく、また何か違うことをやってみよう!という気持ちにつながりますね。いつも当たり前のようにやっていることを、いつもと違う方法でやってみるだけでも力がわいてきます。「自分が失敗したといえるとき、それは創造的に関わったということ」自分の考えや思いを前面に出してつくったものが否定されたとき、自分が全否定されたようでとても傷つき、次からは無難なものにしてしまおうかという誘惑にかられますが、そんなときに自分を支えてくれる大切な考え方と出逢えたことがとてもうれしかったです。
Hoffnung 様 (群馬県 女性 2010年09月22日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第19号
能動的に参加する、自分のこととして考える、一貫して言われていることが改めて重く自分に入ってきました。毎日沢雉会を聞き、いつのまにか教えられた事を他人にあてはめ自分を省みる事を忘れています。自分の足で立ち自分にしか出来ない何かを心から豊かに行っていくため、改めて進んでいきます。本当にいつもありがとうございます。
island 様 (愛知県 男性 2010年09月21日投稿)
その他
かつてNHKにおられた鈴木健二さんが、その著書の中で「20代は気体。30代は液体。40代は固体」の時代とおっしゃってました。40代の自分が凝り固まった自分の心を解き放ち、風のような自由な心を持つためにはどうしたら良いものかと、ふと疑問が涌いてきました。しばらくして、石井先生がブログでもおっしゃられていた『熱』という言葉が浮かび上がりました。固体を溶かすものは、熱しかありません。熱を持つことにより、固まり行く自分の心を、あの20代の心を、再び取り戻すことが可能なのかと。『早春スケッチブック』の中で竜彦(山崎勉)が、「生きるってことは死んでゆくものを食い止めるってことだよ。」という台詞を吐いていたと記憶してますが、そのことが意識魂的な生き方に通じていると、今ふと思いました。
川島 輪太郎 様 (栃木県 男性 2010年09月20日投稿)
その他
石井先生、事務局の皆さん、こんにちは。いつもありがとうございます。「裏ブログ」は読むたび内容が濃くて深くて「腑に落ちる」のに相当時間がかかるのですが、6月掲載の「想像力は情報処理とは関係ない」の謎が、3ヶ月たった今になってようやく少しずつ分かってきました。読んだ当時は「?」でした。わたしの勘違いのひとつは、心を「量」的に捉えていたということです。相手の心をたくさん理解するには、たくさんの情報が必要だと思っていたこと。でも「たくさん」とは何だろうと思いました。たとえば相手の素性をたくさん知っていたとしても、そこに何も感じ取れない、見い出せないことだってあるのだろうと思いました。一方で、どんな「小さな」、「たったひとつの」ことであっても、そこに込められた相手の思いがあったりして、それを一所懸命に深く理解しようとした時、初めてみえてくることがあったりします。つまり情報量に基づく科学的な正確さという結果に重点を置くのではなく、相手を「理解しよう」とするプロセスにこそ意味がある。そんな心の在り方が、人の心を理解する上ではずっと「意味」のあることなのだろうと思いました。またこのことは、コールドリーディングの目的である「相手を理解しようとする態度」や、「心の問題は結果でなくプロセス」というお話にも通じることだとようやく少しずつ分かってきました。ラストシーズンに突入しようとしている今頃になって恥ずかしいのですが、石井先生が時間をかけて丁寧にシーディングしてくださっていることが少しずつゆっくりと実を結んでいることに感動しています。(もし理解が間違っていたら後でまた分かればいいなと思います;)―ところが(!)、先日届いた「本物のコールドリーダーになるための7通の手紙」(2通目)『本物のコールドリーダーに最も必要な観察力』を読んで、再び謎はスタート地点に戻ってしまいました。「相手を理解するには個人的な感情に左右されない『事実のみ』を観察する」ことが大事。思考を前提にするとしても、「共感的理解」とはよく言われることです。自分のことを考えても人間は感情や主観に流されやすいもの。個人的な感情を「超えて」(あるいは活かして)、相手のほんとうを客観的に理解するために、どのように「思考の筋肉を働かせ」ればよいのか、さらに深く理解する必要がありそうです。ひとつ分かったかと思うと、そのさらに向こうに出現する問い。ますます混迷の度合いを深めつつ、なだれ込みそうなラストシーズンです。何とか最後まで沢雉をクビにならないよう、地道に冷静に考え続けていきたいと思っています。これからもどうぞよろしくお願いいたします
くるぞ新幹線 様 (青森県 女性 2010年09月15日投稿)
月刊・石井裕之~沢雉会 シーズン7・第20号
石井さん、こんばんは! 20号21号のDVDの公開収録の時、暑いのが苦手とおっしゃっていましたが、この夏の暑さは大丈夫でしたか?札幌は例年より暑いとはいえ、朝晩はめっきり涼しくなり、とても過ごしやすい季節になってきました。 公開収録に参加し、今まで自分がいかに「傍観者」だったかが実感できました。その後、もっと真剣にCDを聞けるようになりました。収録に参加させてもらって、ありがとうございました! さて、20号を聞いて、「目からウロコ」のことが2点、ありました。 まず1つ目は、本筋とは関係ないのですが、「その考えが正しいかどうかは関係なく、それによって幸せになれたり、人間関係がうまくいけばいい」ということ。 これを聞いた後、自分の中に、あ、こうすれば人間関係がうまくいきそう、という映像がでてきました。 具体的には、今までは 自分|相手 スタッフ|お客様 のように、2極化で考えていたのが、真ん中に○を書いて自分を置き、そのまわりに一回り大きな円を(ドーナッツのように)書き、そこに上司・友達・同僚・お客様・・・とするイメージです。 私はお客様には親身に出来ても、スタッフには心配りが足りなかったり、後輩には優しく言えても、上司にはきつく言ってしまったり、と、関係性によって自分の態度が変わってしまう事が悩みでした。でも、ドーナッツを描くことで、どんな時でも「なりたい自分」でいる心ができました。そして、自分を中心に置くことで、相手のせいにしない、という考えが、ストンと落ちるようになりました。 2つ目は「与えられた物から何を創り出すかが大事」ということ。 私は今まで、自分には何か向いているものがあるのではないか、あるいはこういう性格だから、こういう仕事の方が向いているのではないか、そんな風に考えていました。でも、自分のこの性格・才能・資質で、やりたい事をやればいいんだ、と、とても自由に考えられるようになりました。 自分の内側を探すのではなく創りだしていく、理想の自分、夢に向かって進んでいきます。 この夏はいろいろな気づきがあり、とても嬉しい夏でした。今度また石井さんに会える日まで、自分を磨いていきます。ありがとうございました!
西野花 奈保江 様 (北海道 女性 2010年09月14日投稿)
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